「いい加減にしろっ!」
龍がヘンリーの顔を持ち、私からグイッと遠ざける。
ヘンリーの首がもげそうなほど後ろに曲がっているけど、大丈夫なのだろうか。「酷いー! 大吾、見た? いつもこうやって龍が僕と流華の邪魔するんだよっ」
ヘンリーが助けを求めるように、祖父を見つめる。
大吾? もう呼び捨て。
そんなに仲良くなったの? しかもいつの間にか龍も呼び捨てだし。龍へ視線を向けると、また龍のこめかみに血管が浮き出ている。
「それはいかんなあ。
異国から来た年下の子をいじめるなんて、男のすることではない。 龍、ヘンリーにもっと優しくするんじゃ」勢いを削がれた龍は、困ったような、複雑そうな表情を浮かべ祖父を見た。
「し、しかし、お嬢に馴れ馴れしくするので。
昔言われましたよね? お嬢に変な虫がつかないように守れと」龍の言葉に私は驚き、祖父と龍を睨みつけた。
何、それ? 私はそんな話知らない。また二人で勝手に決めて。龍に抗議された祖父は、少し考える素振りを見せた。
「ふむ、確かに言ったな。しかし、ヘンリーは悪い虫じゃあない。
なかなかのイケメンじゃし、王子だし、優しそうだし、なかなか話もできる。 何より流華を愛しておる。わしのお眼鏡には叶っとるよ」その言葉を聞いた龍は、激しくショックを受け、打ちのめされたように跪いた。
絶句し、下を向いたまま黙り込んでしまう。激しく落ち込む龍の背中には、悲壮感が漂っている。
あまりの龍の憔悴ぶりに、私は何も声をかけられなかった。祖父の態度の変化にきっとついていけないのだろう。可哀そうに。
おじいちゃんは本当に気まぐれなんだから。龍のことはしばらくそっとしておこう。
「あのね、おじいちゃん。
こちらの常識がよくわかってない子を学校へ連れて行ったら、ごちゃごちゃするんじゃないかな。それに、ヘンリーの容姿も目立つし、きっと学校で噂になっちゃうよ」 「いいではないか! 若い時はいろんなことに揉まれて成長するもんじゃ。ヘンリーも、流華も揉まれてこい!」豪快に笑い飛ばす祖父に、私は辟易する。
いや、そりゃ、あなたはいいかもしれないけど、面倒みるのは私なのよ!
と言いたかったが、言う間もなくヘンリーと祖父は二人で盛り上がってしまっている。「やったー。明日から流華とずっと一緒だあ!」
「よかったな、ヘンリー。青春してこーいっ」もうこうなったら誰にも止められない。
うちの祖父は、一度決めたことはなかなか覆すことはない。盛り上がりを見せるヘンリーと祖父。
ひっそりと端の方で落ち込んでいる龍。
そんな三人を尻目に、私は一人、深いため息をつくのだった。
「うわー、綺麗!」 視界に飛び込んできたのは、一面に広がる緑の絨毯。 周りを見渡せば、色とりどりの花畑が点在し、たくさんの木々たちが風に揺れていた。 見ているだけで、心が癒されていくようだ。 マイナスイオンのおかげか、空気も美味しく感じられる。 今日は、運よく晴天―― あたたかな日差しが降り注ぎ、空は青く澄み渡っている。 私は大きく深呼吸した。「……気持ちいい〜」 ヘンリーは目を輝かせながら、景色に見惚れている。 無邪気なその横顔が、子どもみたいで……自然と頬が緩んだ。「あー、なんだか思い出すなあ、ねっ!」 嬉しそうに笑いながら、私をまっすぐに見つめてくる。 思い出す……とは、前世のことだろうか。 確かに、前世の私たちは、よく草原でデートをしていたような気がする。「流華、行こう!」 ヘンリーは、私の手を取ると走り出した。 楽しそうに駆けていく彼の背中を見つめながら、たまにはこういうのも悪くないか、と思った。 すっかり彼のペースに巻き込まれているような気もするが……まあ、いいか。 ヘンリー楽しそうだし。 今日は付き合おう。 この前、お世話になったしね。 そう決めた私は、今を楽しむことに集中するのだった。 この広大なテーマパークは、一日ではとてもじゃないけど回り切れない。 それを知ってか知らずか。 ヘンリーは子どものようにはしゃぎながら、私を連れまわしていく。 パーク内を巡り、様々なアトラクションを楽む。 メリーゴーランドに始まり、動物の餌やり、迷路、アスレチック。 さらには子ども向けのゴーカートまで。 子どもが好きそうなアトラクションばかりを好むヘンリー。 彼に付き合うのは、かなりの羞恥心と闘わなければいけないことが多く―― かなり、疲れる。
「さてっと、今日はどうしようかなあ」 休日。特に予定のない私は、居間でスマホをいじりながらのんびりと過ごしていた。 ――ピンポーン。 玄関のチャイムが鳴る。 しかし、誰も出る気配がない。 ん? 今、みんな出かけてるのかな? 少し面倒に思いながらも、私は腰を上げ、玄関へと向かった。 「流華!」 扉を開けた瞬間、ヘンリーが勢いよく飛び込んできた。 驚く間もなく、思いきり抱きしめられてしまった。「ちょ、ちょっと、いきなり何?」 突然の行動に面食らい、目を白黒させる。 ヘンリーはそんな私を真正面から見つめ、意味深な笑みを浮かべている。「ふっふー。流華、今日は僕とデートして!」 満面の笑みでそう告げられ、思わず問い返す。「……なんで?」「なんでも! お願い、お願い、お願いー!!」 まるで子どものように駄々をこねるヘンリー。 こうなったら、なかなか引かないことはわかっている。 面倒だな……と思いつつ、私は観念した。「……わかった。今日はとくに予定ないし、付き合うよ」「やったー!」 ヘンリーは嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねる。 ほんと、子どもみたいなんだから……。 あきれたように笑い、小さくため息をつく。「ちょっと待ってて」 玄関にヘンリーを残し、出掛ける準備をしながら龍と祖父の姿を探した。 しかし、二人の姿はどこにも見当たらない。 あれ? 今日って、組の総会か何かあったっけ? 仕方ないので、私は机の上に書置きを残しておくことにした。「あと、念のためっと」 スマホを操作し、龍にメッセージを送った。「よし、じゃあ、行きますか!」 こうして―― 何もなかった私の休日は、妙にテンションの高いヘンリーとのデートへと変わった。 どこへ
「なんでもない。……それより、デートはどうだったの?」 なんでこんなこと聞くかな。 すぐに後悔した。 本当は聞きたくない。でも、気になる。「少し二人で歩いたあと、お食事して、果歩さんを家まで送ってきました。それだけです」 龍の視線は真っ直ぐに私に向いている。 そこに嘘はないんだとすぐにわかる。 それなのに――「で、どうだったの?」「は?」「感想よ。楽しかったとか、嬉しかったとか、果歩さんが可愛かった、とか……。 いろいろあるでしょ?」 ああ、また余計なことを。 口が勝手に動く。 止まらない。「もしかして、焼いてくれているんですか?」 龍が嬉しそうな顔をする。 なんだか、腹立つ。「そんなんじゃ……ない、わよ」 声はしぼみ、つい目をそらしてしまう。 面倒な子って思われないかな。 私はそっと龍の表情を盗み見る。 ……そこには、照れくさそうにはにかむ龍がいた。「嬉しいです……。お嬢にそんな風に思っていただけるなんて。 それだけで、俺は果報者ですね」 そのまま、私は龍に優しく抱きしめられる。 彼の体温がじんわりと伝わってきて、心が静かに波打った。「こりゃ、こりゃ……わしは邪魔じゃな」 祖父がこそこそと部屋を出て行く気配がした。「ふふっ、親父も本当は私たちに悪いって思っているんですよ。 素直じゃないですけど」 龍の言葉に、私は眉をひそめる。「本当に? そうは思えないんだけど」 二人でくすくすと笑い合う。 龍の腕が緩み、私たちは至近距離で見つめ合う。「流華さん、俺が愛している女性はあなただけです。 何度も言っているとは思いますが……他の女性が入る隙など、ありません」 熱い瞳で見つめられ、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
ヘンリーと別れた私は、家に帰ると真っ直ぐ洗面所へと向かった。 手を洗い、うがいを済ませたとき、ふとテレビの音に気づく。 その音源は、どうやら居間からのようだった。 ふと、私をこんな事態に陥れた張本人の顔が脳裏に浮かぶ。 気づけば、自然と足が居間へ向かっていた。 部屋をそっと覗き込んだ私の目に飛び込んできたのは、新聞を広げながら呑気にあくびをしている祖父の姿だった。 私は小さくため息をつく。「お、流華、お帰り。龍はまだじゃよ」 私に気づいた祖父が、笑顔を向けてくる。 こっちの気持ちも知らないで。「……わかってる」 少しムッとしながら、祖父と机を挟んだ反対側に腰を下ろした。 怒っていることを察してほしくて、わざと乱暴に座る。 だが、祖父は怪訝そうに眉をひそめるだけで、不思議そうな顔をした。「なんじゃ、不機嫌そうに。そんなんじゃ、龍に愛想つかされるぞ」「おじいちゃんに言われたくないわよっ!」 大きな声が部屋中に響く。 さすがの祖父も、驚いて目を丸くした。「な、なんじゃ?」「おじいちゃんのせいでしょ! 私たちずっとうまくいってたのに……めちゃくちゃよ! そんなに私たちの邪魔して、楽しい?」 感情をぶつけるように睨みつけると、祖父の表情が一瞬だけ怯んだように見えた。 しかし、すぐに余裕の笑みへと変わっていく。「ふんっ、これくらいでダメになるようなら、いつかダメになっとるわ。 本当にお互いを信頼していたら、心は揺れん」 痛いところを突かれ、私はぐっと言葉を飲み込む。「そんなの、わかってる。 わかってるけど、不安になるでしょ? 好きであればあるほど、苦しいの! おじいちゃんにはわからないよっ!」 悔しさに駆られ、勢いよく立ち上がった。 振り返り様に誰かに思いっきりぶつかってしまう。「いたっ!」
そのまま迷いのない動きでヘンリーを交わし、何事もなかったかのように私の目の前にやってくる。「なっ……」 ヘンリーは絶句し、相川さんを凝視する。 相川さんは至近距離から私を見下ろし、優しい笑みを浮かべた。 頬に触れながら、熱っぽい瞳を向け、そっと囁く。「僕を、選べばいいのに……。 そうすれば、そんな悲しそうな顔をして一人で泣くことはない。 僕は絶対にあなたを悲しませたりしない。 流華……僕を選べ」 自信に満ちた表情。 口元は笑っているのに、目は鋭く、まるで獲物を捉えるように私を貫く。 その視線から、目を離せなかった。「流華、好きだ」 ゆっくりと相川さんの顔が近づいてくる。 私は彼から逃げようとする。 が、金縛りにあったかのように動けない。「ダメーっ!!」 突然、ヘンリーは相川さんに思いきり体当たりをした。 しかし、相川さんはそれを察知していたかのような素早い動きで身をかわす。 そのとき、はっとし我に返った。「ヘ、ヘンリー?」 戸惑う私を背に庇いながら、ヘンリーがこちらへ顔を向け微笑む。「へへっ、僕が守るって言ったろ?」 なんだかとても誇らしげな表情。 私を守れたことが、よほど嬉しいらしい。「ありがと……」 心からほっとした。 もし邪魔が入らず、あのままだったら――。 不覚! なんであんな状態で固まっちゃうかな、も~! これでは、相川さんの思うつぼだ。 彼の瞳には、人を惑わす力があるのかもしれない。 あの瞳に見つめられると、思考が止まるっていうか、ぼーっとするというか……って、そんな摩訶不思議なこと。 何なの? もうわけがわからない! とにかく、相川さんには気をつけなくちゃ。 ごちゃごちゃする思考を振り払い、集中する。 ヘンリーと並び、相川さ
そこにいたのは、相川真司だった。 意外そうに目を見開き、こちらを見つめている。「おまえ……」 相川さんに気づいたヘンリーが、鋭い眼差しを向けた。 だが、そんな視線など意に介さず、相川さんはニコリと微笑み、ゆっくりと私たちの方へ近づいてくる。「こんなところで何してるんですか? ちょうど流華さんのところへ行こうかと思っていたんです。偶然ですね」 嬉しそうに私を見つめる相川さん。 その視線から守るように、ヘンリーが私の前に立ちはだかった。「今、流華はおまえに会いたくないってさ」 背中越しで顔は見えないが、ヘンリーから珍しい男らしさが漂ってくるのを感じ、驚く。「そうなんですか? それは……彼女の涙と関係あるのかな?」 余裕のある声音で、相川さんが問いかける。 さっき私が泣いていたのを、見られていた?「それとも、龍のせい? だったりして」 核心を突かれ、心臓が痛む。 今この人から逃げたところで、何も変わらない。 ――ちゃんと向き合ったほうがいい。 そう思った私は、覚悟を決め、ヘンリーの背中から抜け出した。 相川さんの前に姿を現すと、彼の目がわずかに見開く。「流華さん……大丈夫ですか? 心配していました」 相変わらずの笑みを向ける彼とは対照的に、私は真面目な顔で問い返す。「なんで心配なんて?」「だって、今日は龍と果歩のデートですから。流華さん、辛いだろうなあと思って」 相川さんは、気持ちを探るような目で見つめてくる。 知ってたんだ……そりゃそうだよね。 果歩さんは妹なんだから、今日のことを知ってて当然。 彼に弱みを見せないよう、まっすぐ見返した。「心配は不要です。私は大丈夫ですから」 少しでも弱みを見せたら、つけこまれる。 ここは平然とした態度を見せないと。「そうだよ! それに、流華には僕がいるから!